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【研究note】作品紹介 長宝寺「観経序分義図(かんぎょうじょぶんぎず)」  (観経会座仏(かんぎょうえざぶつ))


大阪市立美術館が発行している定期刊行物「美をつくし」に、学芸員による研究ノートを掲載しています。これまでに掲載した内容をnoteでもご紹介していきます。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


仏教絵画はわかりにくいと言われることがあるが、ひとつひとつ紐解けば難しいことはない。今回紹介するのは、大阪市平野区平野本町に所在する長宝寺に伝来した、釈迦の説法の様子を描く絵画である。箱書に「観経会座仏」と題される珍しい絵画である。




縦長の画面中央には荘厳された蓮華座に坐す金色身の釈迦、その向かって右に弟子の目連(もくれん)、左に阿難(あなん)が立つ。釈迦は眉間から頭上へ光を放ち、その中に煌めく楼閣、さらに上部には光台上の極楽浄土を表している。


そして画面左下には、大陸風装束の女性が合掌し釈迦を仰ぎ見ており、傍らには経典を捧げる侍童が立つ。人物の着衣や蓮華座に見られる緑と青を基調とした彩色が清冽な印象を与える作り出している。


3p 研究ノート画像1 (後日差し替えあり)

「観経序分義図」(観経会座仏)
鎌倉時代・14世紀 絹本着色 1幅 縦137.0×横60.0㎝
大阪・長宝寺



本図は経典『観無量寿経』(『観経』)の冒頭にある説話の一幕を表した絵画である。

説話の主な登場人物は
釈迦
釈迦の弟子:目連(もくれん)、阿難(あなん)
マガタ国王:頻婆沙羅(びんばしゃら)
王妃:韋提希(いだいけ)
その息子:阿闍世(あじゃせ)

少し詳しくストーリーを追ってみよう。いわゆる「王舎城の悲劇」として有名な一段である。



物語はマガタ国の王舎城において、阿闍世王子が実の父である頻婆沙羅王を幽閉、王位を簒奪したところからはじまる。

王妃である韋提希は王の命を繋ぐため、バターに乾飯の粉を混ぜたものを体に塗り、胸飾りの中に葡萄酒を入れて密かに王に供し続けた。しかし阿闍世にそのことが露見し、自身も幽閉されてしまう。

実子の非情な所業に、この世を憂えた韋提希が、遠く耆闍崛山(ぎしゃくっせん)にいる釈迦に向かい「せめて釈迦の弟子の目連と阿難を遣わして私を慰問してほしい」と涙を流して礼拝すると、2人の弟子のみならず釈迦自らも忽ち韋提希の目前へ現れた。

韋提希が苦悩や憂いのない清らかな世界を示してほしいと願うと、釈迦は眉間から光を放ち、十方諸仏の国土のきらびやかな様を示した。

韋提希はそのなかでも阿弥陀仏の国土である極楽浄土へと往生する方法を尋ね、釈迦はそれを教示した。


『観経』ではこの後、極楽浄土への往生を望むにあたっての必要な心構えや、韋提希のみならず他の凡夫にも功徳があること、さらに往生のために極楽浄土をイメージする方法などが説かれている。




本図では釈迦と目連、阿難に向かい跪坐(きざ)礼拝する韋提希、それに対し釈迦は無数の仏国土を現じ、金色に輝く光台の極楽を示現させる部分を描く。『観経』の序分義のなかでも、特に欣(ごん)浄(じょう)縁(えん)と呼ばれる部分である。




また、上空から天人たちが花を降らせる様子も、釈迦の説法を荘厳するものとして同部に説かれる。欣(ごん)浄(じょう)縁(えん)のたった一場面を描いた絵画だが、実は大きなストーリーが存在しているのである。それを知ってこの絵画を見れば親しみが湧いてこないだろうか。




なお、「無量寿」とは阿弥陀仏、「観無量寿経」は阿弥陀仏を観ずる(イメージする)経典という意味。「序分義」とは『観経』の導入部を指していることから、本図は「観経序分義図」と呼称されている。また、本図がおさめられていた箱には「『観経』の説法の場での仏」を意味する「観経会座仏」という墨書があり、長宝寺での伝来名称がうかがえる。




さて、本図の表現については細やかな装飾が見どころのひとつである。例えば釈迦がまとう袈裟の縁の青緑色系の繧繝(うんげん)彩色(グラデーション)と金泥による動感のある植物文様、袈裟の下に身につけている覆肩衣(ふくけんね)は、金色の文様が浮かぶ薄緑のヴェールで、袖の下の右腕が透けて見える。釈迦の坐す蓮台の蓮弁の一枚一枚には開いた花を思わせる装飾、その周りを赤い宝珠文が囲うなど美麗な表現を多用する。この表現の細緻さや描写の確かさが、マガタ国の王都王舎城を舞台とした悲劇と救済の物語にさらなる魅力を与えている。


3p 研究ノート画像2 (後日差し替えあり) 

部分図 花を降らせる天人(左上)、天花(中央)、極楽浄土(中央)




これらの特徴は中国の南宋~元時代や朝鮮半島の高麗時代の絵画に共通する。例えば元の支配下の高麗で制作された、重要文化財「阿弥陀如来像」(東京・根津美術館、1306年)の表現によく似ている。本図はややフラットな採色が見られることから、日本において制作されたと考えられる。




鎌倉~南北朝時代作の愛知・曼陀羅寺所蔵「観経序分義変相図」が着衣などの部分的な変更のほかは、ほぼ奈良・円照寺所蔵の南宋~元代作の同作品を細部まで踏襲しており、模倣した可能性が高いのと同じように、本図も大陸や半島から舶載された絵画が日本において写されたものである可能性が高い。




本図が伝来した長宝寺は坂上田村麻呂(758-811)の娘である春子が開山し、代々女性が住職を務めている。もとは真言系の寺であったが、15代良心大姉が法然(1133-1212)に帰依したのをきっかけに、以後真言と浄土の兼学の寺となったという。韋提希という女性を重要な役割に据えた浄土信仰の絵画が伝来することは、尼寺という縁も多少なりともあってのことなのかもしれない。




大阪市立美術館/石川温子
2019.3「美をつくし」vol.191 研究ノートより

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