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【研究note】コレクター田万清臣の奇しき仏縁


大阪市立美術館が発行している定期刊行物「美をつくし」に、学芸員による研究に関するコラムを掲載しています。これまでに掲載した内容をnoteでもご紹介していきます。


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2015年に開催した「特別陳列/田万コレクションⅠ 中・近世絵画」は、当館の基幹コレクションのひとつである田万コレクションから、主に中・近世絵画にスポットをあててその魅力を紹介した。法曹出身の異色コレクターであった田万氏の個性、眼差しにも思いをはせるべく、奈良の仏教美術をめぐる同氏の逸話をまずはここに披露し、展覧会の紹介にあてることにしよう。



昭和18年(1943)8月上旬、小川晴暘(仏像写真専門の写真館「飛鳥園」の創業者)は、奈良へ来遊した代議士・田万清臣(たまん・きよおみ)を伴って奈良署の刑事室を訪れていた。目当ては、ここに保管されている2点の「国宝」を実見することである。


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無事帰還した宝冠化仏を抱く田万夫妻
(昭和18年・東大寺)
『続・行雲流水-田万清臣追想録』より


ひとつは、新薬師寺の「薬師如来立像」、いわゆる“香薬師”の右手。もうひとつは、東大寺法華堂(三月堂)の本尊「不空羂索観音像」の宝冠を装飾する瓔珞(ようらく)。香薬師像はこの年の3月に盗難に遭い、過去の盗難で切断された右手だけが残された。三月堂本尊宝冠は昭和12年に盗難に遭い、化仏ほかを失った。残った瓔珞の一房がここに置かれていたのである。小川はこの日の奈良署訪問を次のように述懐している。



彫刻好きの田万氏は、この手を掌にのせて初めてふれる傑作像の味と魅力に感嘆し、手首一つでも時代の特色がよく出ているのに驚きの眼をみはられた。・・・珠玉は各色とも深く、奈良朝以来ちりにまみれていたとは思えぬ、艶々した珠玉の一房、色のとり合わせも実に品が良く繧繝の気持に配色されている。・・・田万氏と私は種々と話しながら飽かずに掌の上に載せてしみじみ眺め入った。・・・美術館の特別拝観をした時のような楽しいよい気持ちになって、いかめしい警察署を出たのである。


※旧字・仮名遣いを改め、小川晴暘「寶冠銀佛の再現」(『東大寺法華堂の研究』昭和23年)より引用。



捜査関係者がひっきりなしに出入りするざわついた空気のなかで、いわくつきの「国宝」を手に悠々と眼福を貪るなど、あたかも仙人のような仕業である。一方、三月堂本尊の宝冠盗難事件は時効が間近に迫っていた。恐らく小川は奈良署の意向を受け、田万との接触をさり気なく仲介したのであろうが、そこはさも傍観者らしく、刑事から田万への捜査依頼の瞬間をキャッチしている。




丸山主任は、田万氏に「先生の所へなどは、こんな瓔珞を持って行く者がありませんか」と、さすがは老練の刑事さんらしい一とさぐりを投げて眼では笑っている。だが、田万氏は無邪気に只ほれぼれと瓔珞に眺め入っているだけであった。丸山主任は「万一御覧になったら知らしてくださいよ」と、依頼していた。


※旧字・仮名遣いを改め、小川晴暘「寶冠銀佛の再現」(『東大寺法華堂の研究』昭和23年)より引用。



奈良署の画策は、ほどなくずばり的中を見る。泉大津の田万の自宅を訪ねてきた近隣在住の老人が、三月堂本尊宝冠の一部と直感される品を見せ、処分を相談したいといって現われたのである。胸の高鳴りを押し伏せ、田万は東大寺、奈良署へ事態を急報した。だが強制捜査ともなれば、老人と背後の窃盗犯グループが危険を察知し、万事休すとなる恐れもある。宝冠化仏はもちろん、盗品すべてを無事回収するには、これより田万が深慮をもって老人と接触を続け、捜査協力することが不可欠であった。田万の重圧はひと月に及んだ。



田万氏は、東大寺管長と同席で老人からはじめてこの銀像をみせられ、銀像を手に取ってみた時に「チーン」という実によい音がした、体内にお舎利が入れてあるらしいという話であった。


※旧字・仮名遣いを改め、小川晴暘「寶冠銀佛の再現」(『東大寺法華堂の研究』昭和23年)より引用。



宝冠化仏の無事確認にいたる緊迫の場面でも、極めて冷静に、澄んだ感覚でモノを見る田万の姿が思い浮かぶ。間もなく老人と窃盗犯一味は御用となり、宝冠化仏等も無事東大寺に還されたのはまことに幸いであった。この一件を通じ、小川のみならず関係者の多くが、田万清臣というコレクターの奇しき仏縁を強く印象づけられたに違いない。



昭和24年の法隆寺金堂火災では、法隆寺国宝保存工事事務所の監督責任者2名が失火責任を問われ起訴された。その弁護を手弁当、無報酬で引き受け、高裁で無罪確定させたのは田万である。謎めいた失火原因の詮索が今も続いているが、60年以上前に田万が残した弁論要旨には、事の真相を照らす鋭い指摘がすでに多々なされていることを付記しておこう。



大阪市立美術館/知念理
2014.9「美をつくし」vol.182より



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